兎波走り

死にたくない

物と人格の話

使わないマグカップを食器棚にしまって、この子は急に知らない暗いところに移されて悲しくないだろうかと思って少し罪悪感のようなものを感じてしまった。

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ごめん、大きなマグカップはもう3個あるんだ

 

こうやって物体に人格があるように思うことがたまにあるのだけど、頻度としてこれは普通のことなのか、とここまで思って自分がいまだに「普通」との比較から評価を定めていこうとしていることに気づいてげんなりもした。

 

台風前の大雨の日、ワイパーが一番強い力で動いていても、ちょっと休ませてあげては…?と思うしコートが小さなフックにかかっていると痛そうだなと思ったり、時計の秒針をずっと見ていると疲れてきたりする。思わない時もかなりあるが。

 

もしかしたら小さい頃ズボンが逃げたり靴ががんばったりするみたいな絵本を読みすぎたのかもしれない。


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いやどちらも林明子先生なんかい

 

ただ、物も人が振る舞うように振る舞う、と考えることを伸ばしていくと、植物はあまりないけど動物が人間のようにセリフを言ったりしている広告や創作物は結構あって、まあ昨今ペットは家族同様の扱いみたいな人も多いし(犬好きおばさんのインスタでは犬はかなり人語を喋っている)受け入れやすくはある。

 

◆もしかするとこれに関係があるかもしれない話:

自分はゲームがかなり苦手だしやれないのだけど、運動音痴を別にするとそれはひとえにゲーム脳だからである。一度やると夢の中でもずっとやってしまう・現実世界との区別がつかないので、皆の頭の上にユーザーネームを探してしまったり、うるさい人混みを歩いていてふと音量ボタンを探したりすることがよくあって、我ながらかなり危険だと思っている。

 

これと物体に人格を見てしまう話との関係は、物に人格を付与する絵本が私に影響を及ぼしてるのが真という前提ありきになってしまうんだけど、結構創作物がその人に与える影響の話になってしまう。私は自分がやばいやつだという自覚があるので創作物のゾーニングにかなり賛成だし、むしろ児童向けのものにはもう少し配慮が必要だとすら思っている。ご多分に漏れず、私もトイレの花子さんのせいで未だに布団から足を出せない大人の一人である。ふざけるなよ

 

ただこうした事を気にし始めるとキリがないので、どこかでスイッチを切って暮らしている。なんならちょっとぞんざいに扱うことで、神経質な自分に対して強めに意思表示をしている気もする。

 

スーパーで売ってる魚に対して寒いねえ、とはあまり思わない。

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勝手な話だなと思いながら、斜めになった苦しそうな本棚から目をそらして眠る準備をする。痛々しいことより全然読まれない方がもっとかわいそうなのに、やっぱり勝手だよな