兎波走り

死にたくない

背景を知ると評価が変わっちゃうけどそういうもの

ここのところ考えの堂々巡りが続いていて、よくないなと思っている

 

その一つに「提示されたことの評価に、追加・付帯情報があると情報なしの場合と評価が変わってしまう」みたいなことがあって、これは前にも書いたけどやっぱり考えてしまうし、微妙にずれている問題が入り乱れている気がしている。


例えば狼少年が本当のことを言った時に、内容が本当でも信じられない。
これは当たり前なんだけど、でも本当のことを言っているのに、彼の過去の所業が影響するのはおかしいんじゃないか?と思ってしまう。

 

評価が変わる要素として、そのひとの所業の他にも、社会的地位や性別がある気がしているのはTwitterで相手が男性だとわかった瞬間丁寧な言葉遣いになるクソリプが晒されていたり、同僚が言っても聞かないので上司から言ってもらうよう頼む、というよく見る地獄からだったりする。

 

最近自分より〜ない(好きな形容詞を入れよう)人に対しての態度があまりにも違う人を立て続けに見て具合が悪くなってしまったので、一時的なものかもしれないし、自分が理想主義者で、思ったより地獄のこの世に驚いていたり「べき」論に支配されているだけなのかもしれない。

 

職場でも「〜さんが言うなら」でやりました、って話たくさんあるし、人間の意思決定なんてずっと揺れ動いてるものなのに、その脆さに驚いたり、怒ったりしている自分がいる。人に影響されて決めている!自分の意思がない!と怒る人に正気か?と思っていたが、反面自分にもそういう「筋が通っている」幻想を求める部分があってショッギョムッジョとなっている。

 

初めて知った時が好きのピークだった人がいて、思想を知るにつれうげーとなっていくのが悲しかったんだけど、「知れてよかった」と思うか「知らない方が幸せだった」と思うかどっちがいいのだろうか。文字にすると圧倒的に前者が社会的に良いとされている考え方だな

 

家族が日舞に関係していた時期があり、あのひとは本当にクソ野郎だったんだけどい〜踊りを踊るのよ、と聞いたことがあり、このテーマは自分の中にずっとある。

 

海老蔵は灰皿で相手殴ったけど芸の肥やし、と考えてしまう自分がいる。「芸」は魔物である。あれ?芸に携わっている情報が加えられると犯罪を少し情状酌量してしまう

 


他の例も考えてみるか

ウディアレンが養女に性的虐待をしていたことを知ってからだとなんだか気持ちが悪くなって、映画を見る気にならないことが現在進行形で起こっている。知らない時はブルージャスミン絶賛していたのに

 

f:id:hellmotel:20200525181402p:plain

f:id:hellmotel:20200525181407j:plain

f:id:hellmotel:20200525181425j:plain


この3つの写真はそれぞれ性的ハラスメントで職を追われたり訴えられたりしている写真家の作品で、それを知らずに見てもなにも感じないけれど一度知ってしまうと深読みしてしまう。(左からBruce Waber, Terry Richardson, 荒木経惟)

 

なんだかセクハラ関係ばかりになってしまったので殺人と創作の例はあるかと思って調べたが、

jazuoh.blogspot.com


どうやら繰り返さないタイプの殺人についてはあまり自分は関連を見出していないっぽい。あれ?


となると性的な犯罪が嗜好に直結しているようなイメージを持っているから+自分が男性の性的な逸脱行為に強めの嫌悪感を抱いているタイプだからなのか?ということは、全てに適応されるかのように「表面だけで判断すべきです(`ェ´)ピャー」な部分が自分にあると上で述べたけど、単純に自分が許せないなんらかの要素に反応しているだけなのかもしれない。大上段に振りかぶったが急にださくなってきてしまった、消費者というのは勝手だ

 

表に出ていないだけで、やばい作家なんて古今東西ごまんといると思う。その作家がネトウヨだったとかカルト宗教だったとか家族をむっちゃ殴るとか、知らないだけでたくさんいるのに、たまたま見聞きしたそれで勝手に無理になったり悲しんだりしている。〜さん政治のツイート(好きな無理を入れよう)するなんて見損ないました!ファンやめます!とかもそういうことなのかもしれない。

 

自分の無理の基準に合わないグレーゾーンもたくさんあって、ディズニーランドの搾取や文化の盗用とか、フェアトレードの問題とか、動物実験の是非とか、たくさんある。「砂糖は体に悪い」をスピリチュアル系主婦が言っている時と医者が言っている時で受け取りが変わるのはなんでなのか?「いい香り」をゴミ屋敷の住人が言うのと調香師が言う時の違いは?人の美醜にケチつける下品な奴は全員犬畜生と思っているがその人がモデルエージェンシーの超敏腕社長だったら?アルマーニだったら?いや最後のは誰がやってもだめだった、無理の勝ち

 

知らなかった方が幸せなこと、知れてよかったこと、それによって簡単に態度を変える自分が「いる」みたいなことを日々実感しているだけという話

 


cf: 美術館に無断で作品を展示したアーティストがいて、3日間誰も気づかなかったって話もこれに近い場所に収納してある。結局「無題」のタイトルプレート貼っておけばみんななんでも信じるよ あと「ノンフィクション」の強さよ