大喜利をしていると、美しい回答が一瞬でなくなって次のお題に移ってしまうので泣きそうになることがあるし、
ガラスケースに入れて飾っておきたいと思うことがたまにある。
まずガラスケースの話をする。
大学生の時パリのケ=ブランリミュージアムに行った。
当時自分は居場所のなさや、人とのコミュニケーションの取れなさ、理想と現実の差の理由を全て「ここが日本だから」と強引に説明していて、文化人類学に救いを求めており、(のちに盛大に破綻)
おパリのおミュージアム(しかもケ=ブランリは民俗学的な展示で有名と聞いていた)にはさぞやこの高尚な私のおセンスに合う奇跡的な出会いがありその後の私の人生を変えるターニングポインヨが待っていると信じて疑わなかった。
しかしいざ一張羅を着て挑んだケブランリではなぜかその醜悪さに泣きそうになってしまい耐えられなかった。
お金は払ったし世界的に有名だし、なんだかおしゃれだし自慢できそうなのでできる限り早足で全ての展示を見たが、そこには期待していたアナザースカイなどは無く、
所属していた土地や、空気や、人々など全ての文脈から切り離されて残酷に冷凍保存された死体しかなかった。
そしてその死体を「我々が最果ての土地から救い出し完璧に保存しています」と疑問のかけらもなく誇らしげに飾っているように見え、心から醜いと感じた。
少なくとも、当時の自分にはそう見えてしまった。
今考えれば保存しないと現地に赴かない人間は一生それを知りもしないし、
学術的であったり(君の好きな難しい分野を入れよう)的な価値は絶対にあるので大事な行為なのだが…
当時の私は結構なショックを受けてしまった。
いやこの祭祀用の杖フランスと全然関係ねーじゃん。
かわいそう!返してあげてくだち!!111!!!11!!!!!!(ナイーブな脊髄反射)
あと採集の仕方バーバリックかよ
その後も大英博物館展、メトロポリタン美術館、モルガンライブラリーやアメリカンインディアン博物館などなど、今に至るまで同様の気持ちをじんわりどこかでずっと感じていた。多いな
こっからしかしの話に移ります。
しかし、じゃあてめー日本で葛飾北斎を見た時にはそれを正確に受け止められて外国で見る北斎とはやっぱり違いますわねおほほ、って言うんか?
と言われるといやそれは、ともにょもにょ口ごもるしかない。
何と言っても我らが新宿には53億円のひまわりがあるし。
あれ照明と周りの雰囲気むっちゃ陰気だけど普通に良いし。
ねえひまわり、ビルのてっぺんで毎日東洋人のおじいちゃんおばあちゃんが口開けてお前を見てるけどお前はいまどんな気持ち?
ひまわり「ひまわり」
そうだねえひまわりはひまわりだねえ
無事ゴッホ大喜利に失敗したところで、まあ「よいものはよい」理論に基づくと別に事物Aの評価に場所が関わってくることはないはずなのです。
ただそれは芸術作品についてなわけで、民芸品や文化人類学的な日用品になってくるとなぜ「かわいそう」「なんでこんな外国に」「あるべきところに返してあげて」が優勢になってきてしまうのか。
一つの仮説として、
「本来の使われ方をされていないものはなんかかわいそうに見える」
ということじゃないのかしらん、と思います。
美術品は「その美しさを人に見られる」という目的を多かれ少なかれ持っていると思いますが、
道具は「人に使われる」が主な目的(たぶん)なので、
その目的を達せられてないものにはなぜか哀れを感じてしまうのかもしれません。
私の意見です。(未知の何かに対しての保険)
自分のiPhoneのsiriは全く使ってないにも関わらず何も感じてないどころかざまあみろ俺は強いと思ってる節があるのにね????
というわけで、やはりものはその用途に沿って使われるのが良いのではないでしょうか。
つまり、みんなを笑わせるためにその場で当意即妙に出された小粋な回答であるところの大喜利も、その日の雰囲気、その場のグルーブ感ひいては自分の体調やなんかも関係して「美しい」と思ったはずなのです。
なに?良いものは良い?お黙りなさい美醜極右の私、その理論は使いやすいがあなたの財布を脅かす。
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つう訳でそんなもんをガラスケースに入れて保存するなんて無粋な真似をしちゃいけねえよお嬢ちゃん、花火だってそうだろ?あれは一瞬だからきれいなんでい
と心の中の両津勘吉の父、銀次に諭されながらも綺麗な回答を探して大喜利の海を漂う日々を送っています。
2月に大喜利できなくなったと思ったけど好きだったから無理やりまたやってみたら変なステージにいまいる。
あ?2015年のオフ喜利アゲイン?全回答書き写してんよ、当たり前だろ
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※追記
このケ=ブランリ (Musée du Quai Branly)、今調べたら「ケ=ブランリ美術館」の訳になっており、民俗学的な事物を芸術品として扱う手法に対して反発もあり揉めていたのですが当時の自分はそれを全く知らなかったし、museumは美術館でも博物館でも同様に使われるので普通に博物館だと思っていた いや揉めてたんかい