兎波走り

死にたくない

IQテストとポケモンの話

簡単なIQテストを受けたら言語IQが言語じゃないIQより低くてじゃあブログやっても意味ないのか?と考えてしまった。

 

初代ポケモン(緑)は始めて即セレクトBB押してずっと無双してた。負けるの嫌だったし、全然力で押すの楽しかったので育成をあまりしなかった記憶がある。

私は昔から負けるのが嫌/怖いのだけど、というよりも、とにかく勝ちたいという欲求が強すぎて自分でそれがすごく怖い。ボードゲーム負けたらガチ泣きガンギレするタイプ。なので社会性と引き換えに勝負から逃げ回ることを今に至るまで選んでいる。勝負に参加しなければ勝ち負けに直面することがないので…勝ち負けがあるとなった時の自分が醜すぎて耐えられない。あと大の大人が負けて泣いてるとダメらしくて、まあ醜いし私は美しさに仕えるニンフなので美醜にはおとなしく従うわよ。

 

ポケモンは「個体値」という概念を知ってからぱったり辞めてしまった。強いポケモンにも見えないパラメータがあって、そのパラメータが一番高いやつに当たるまで同じポケモンを捕まえ続けないといけないらしかったので時間がかかりすぎると思い冷めた。ガチャだし。固執すると永遠にやるだろうこともわかっていたので。(私は朝9時から18時まで何も食べずベッドでチェインクロニクルをやり続け4万ぶち込んで3日目で飽きてスパッと辞めた実績がある。)

 

初代ポケモンではひたすら火力で殴るだけで全クリ、個体値が悪いとそこを伸ばしても無駄・強いポケモンには絶対勝てない、という思想に染まってしまい、「戦術」という努力要素を学ぶ前にゲームを辞めてしまった。努力しても無駄というクソ思想は、間違っているとわかりながらも未だに捨てきれておらず、今まで努力らしい努力もした記憶がない。

 

始めに戻ると私はIQを個体値だと思っている節があって、値が悪い部分についての努力を即捨てようとしているので非常によろしくない。これまで努力で何かを伸ばした成功体験もないのでかなりわろしです。

 

つまり言語IQより非言語良いならブログなんて辞めて絵でも描くか、みたいなアホ判断になってしまっている。頭も悪いので短絡的というかIQの意味をわかってなくて数字だけ見ている。絵を描く検査なんてなかったのに…お前はタングラムにちょっと慣れてただけなんです。バカにIQとか与えるとそれだけが万能包丁のように扱い始めて質が悪いのでよくない制度だよこりゃ。

 

努力が苦手というより、「できない」時の屈辱が強いのがよくないのかもしれない。自己イメージがソロモン王なのか、小さい頃から何かできないと顔真っ赤ww状態だったので、本当に2ちゃんねるがまだ黎明期でよかった。ツイッターが小学生の頃あったら気が狂っていた。できない自分への耐えられなさに努力が負ける。努力ちゃん、もっと努力してよ。

 

ここまで書いてきて気づいたけど、自分の「楽しい」「やりたい」という気持ちを全く鑑みないで「お前は点数が足りないからこれをやるには不適格です」と言い続けているだけですね。我ながらSFの狂った端末みたいでちょっと怖いです。こうして真夜中に垂れ流すことに意味はあるのかと思っていたけど整理という点でこの気づきは成果です。書くって利点あるんだな。

 

 

 

ここで終わるのも私が勝手に納得しただけになるのでたまに思い出す話をします。

 

うちの祖父はチワワとかマルチーズのような小さい可愛い系の犬を全て「水犬」と呼んでいました。「水」が何を示すのか聞いたことはありませんが、今でも私はちっちぇえ犬を見ると「水犬」と思って見ている。みんなも「水犬」採用してほしいしっくり来るので。