兎波走り

死にたくない

既視感のある会話

 

・せーのでどっちの○○食べたいか指差そ
・何座?
・海派?山派?
・永遠に生きたいと思う?
・タイムマシンに乗って行くならどこ?
・一番危なかった旅行先は?
・食べられないものある?


そんな質問で凌いできた会話たちが少し溜まってしまっている。


思い返すと主に年上の人に使ってきた技術だけど、この質問をするのはこれを喜んでくれる程度に方向性の相性がいいとわかっている人、という基本条件はあるし、もちろん相手の答えに興味はある。けれどあとの半分は、いま自分が「技術」を使って「少し変わった、気の利いた会話」で相手を喜ばせようとしているというどこか冷たい意識がずっとある。(本当に成功しているかどうかは別として)

 

香港のレストランで晩御飯を一人で爆食べして外に出ると、さっき同じく一人で食事をしていた人がいてディナーどうだった?と聞いてきた。私が一皿ごとに騒いでいたら目があってお互いにっこり、みたいな小さな挨拶をしていたこともあり、よかったよ、とか上海蟹を今年初めて食べた、などと話していたら一緒にお茶をすることになり、上記の質問でかなり凌いでしまった。罪悪感が結構残った。

 

いつかどこかでした質問を、相手だけ変えて繰り返すことになんの意味があるんだろうかと思いつつ、してしまう。その人がいつか昔の恋人にしていたような質問を私もされているんだろうか。

 

上記の質問はかなり手の内なんだけど、もう少しあるので鉄板の質問リストがある人は交換こしましょう。

そろそろこのリストも使い古されてきた気がするし、こういうコミュニケーション以外をしたいと思い始めている。

 

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