兎波走り

死にたくない

おもしろ貝拾い

先日、笑うタイミングが変だよねと気づかれた。

 

私は周りにつられて笑うか予測して笑うかのほぼどちらかなのでタイミングが1テンポ遅いか早いかになっている。返事はほぼ予想でやってるので1テンポ早くて正答率7割くらい。今まで周りの優しい人が言わないでくれていただけの可能性は大いにあるけれど、あんまりバレていないと思っていた。

 

「人を笑わせられるってすごいですよねえ」と何人かから聞いたことがある。
今日はこれで1番笑った、とか思い出せてる人もたくさん見た。
私はどちらもわかっていないのにわかっているふりをしている。

 

映画『JOKER』を見た。
話の筋はどうでもよかったけど、主人公がコメディアンを目指し、汚いノートに思いついたことを書き、コメディショーに通うシーンが辛かった。彼は舞台上のコメディアンが言ったことにワンテンポ遅れて笑い、何がウケていたのか律儀にメモを取っていた。のちに彼は尊敬していたコメディアンからその「わかってなさ」をいじられ観客に笑われることになる。ちょっと自分を重ねてしまった。そんなことない、はずであってくれと思うけれど。

 

大喜利、という業の深い趣味を持っていた。
お題の要素を逆にしたり過剰にしたり、他にも色々試しながらみんな、「おもしろい」回答を出す。たぶん。私はそう理解してる。

 

要素をくっつける他に主要なアプローチとして

・あるある、共感の笑い
・過激なもの、タブーの笑い(これは「この場を収めるには笑うしかない」みたいな作用を使っているのかもしれないけど)
・内輪ネタ(あるあるに入るかも)
・原点に戻る、裏笑い
・その人オリジナルの世界観を出す

とかがある、かもしれない。
結局自分は大喜利が弱いままだったので、この分類はきっと有識者から見たら何言ってんだよみたいになるとは思う。この程度の理解で語ってすみません(何かへの予防線)

 

その中で私は深めにリアルなことを言うという一見あるあるに見せかけた卑怯な戦略を取っていた、というかそれしかできなかった。他のテクニック的なものは出す順・言い方も含めて全部理解できない。毎回がんばってやってみるけど、毎回失敗する。

 

たまたま、自分がいつもやってること、例えば「タグを切らないまま服を着て馬喰町のホームで教えてもらった」とか言うと、極端なリアル、として少し笑ってもらえた(多分…これも間違っているかもしれないという疑心暗鬼が常にある)のでそれを続けているだけだった。いつからかずっと、多分みんなとは違う競技をしているなあと思いながら、でもなんか面白として騙せてるみたいだしいいかなと思って端っこの方にいさせてもらっていた。

 

しかしこの方法だと、結局「何が面白いか」をわかっていないので思いついたものをずっと垂れ流し続けることになり見苦しい人になってたなあと最近悲しい気持ちでいる。やっている時は夢中で全然気づいていなかった。ごめんね。

 

みんな思いついたものを出さなかったり、清書したりするんだと知った時は結構ショックだった。したことがない。ウケてた・ウケてないも、実は一度も認知したことがない。大きな音ややったらだめなことをしたら笑うが、びっくりした時の反応が笑うに設定されている可能性はすこしある。もしかしたら、私お笑いわかんないんです、という「あっち側」の人間なのかもしれない。笑う、という行為をあまりしない種族に生まれてしまったのかもしれない。一応自分なりに好きなものはあるので少しの時間ならごまかせてきてしまった。

 

そんな中でもたまにお題を考えていると見える景色があって、”見える"感触がきれいで、それをがんばって出すとどうやら伝わるようなのが嬉しかったので持続してやっていた。

 

「面白い」はわかんないなあ、と思いながら、きれいな貝をたまに海底から拾って満足する行為を続けている。99%は海面でバチャバチャやって迷惑をかけている。眺める分には、バチャバチャやるやつ見苦しいけどなんで早くやめないんだろう、と思って、自分の首を絞めている。

 

おもしろを、きれいかきれいじゃないかで見ているかもしれない、という話。

 

f:id:hellmotel:20191215235858j:plain